先週、4/21、22、23で大阪と奈良を旅してきました。
天海玉紀先生が奈良国立博物館に「曜変天目茶碗」を見に行くというのを伺ったのがきっかけです。

大阪鑑定会お礼

せっかく関西に行くので、鑑定会を企画してみました。
おかげさまで、企画した枠は満席となって、しっかり鑑定することができました。
いらしてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

時間が足りなくなってお断りしてしまったみなさんには、大変申し訳ありませんでした。
次はもっとちゃんと事前に準備して、開催しようと思います。

満席になったので急遽、貸し会議室を借りたのですが、大阪駅すぐの場所では見つからず、北新地寄りにある「大阪駅前第一ビル」というところでやりました。
一応、梅田から歩ける距離。
よりによって飛行機にしてしまってたので、阪急梅田駅から北新地まで歩くことに…
乗換案内で見たら、「徒歩18分」と出て、「ぎゃっ???」となりました。
はたして私は梅田ダンジョンを攻略することができるのか!?

でも今は便利で、ちょっとぐぐると「北新地から梅田への行き方動画」がすぐ出てきます。
おかげで迷うことなく到着できました。

このビルは中野ブロードウェイの4階を思い出させるような、古さと雰囲気がありました。
あんまりきれいじゃなかったけど、地下街直結は楽ちんでした。

鑑定終了後はすぐに奈良へ移動。
玉紀先生とは翌朝に合流の予定だったのですが、私に合わせて前乗りしてくださったので、私も大阪泊をやめて奈良に向かいました。

奈良では美味しいお店を友達に聞いていたのですが、日曜だったし予約でいっぱい。
そもそも「ラストオーダー7時半」とかが多くて、夜がめちゃくちゃ早い。
なんとか見つけた居酒屋さんでご飯&夜の散歩!

翌朝に備えて早々に就寝です。

国宝の殿堂 藤田美術館展

翌朝は、9時集合!

この日、博物館は休館日だったのですが、貸し切りで「藤田美術館展」を見るツアーが開かれました。
藤田美術館の館長である藤田清さんや日本美術の評論もしている編集者の橋本麻里さんの対談もありました。

国宝の殿堂 藤田美術館展

なぜ藤田美術館展が奈良国立博物館で行われることになったのか?
その過程でどんなことがわかったのか?
そして、曜変天目茶碗とはどんなものなのか?

など、業界の裏話もたくさん交えてお話してくださいました。

大阪市の中心部にある藤田美術館は、国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵する美術館です。明治期に活躍した実業家・藤田傳三郎(ふじたでんざぶろう)(1841~1912)とその息子平太郎、徳次郎兄弟の二代3人によって収集された美術工芸品を公開するため、昭和29年(1954)に開館しました。

明治維新のころにあった廃仏毀釈のおりに、かなりの仏教美術品や仏像、仏具が壊されてしまいました。
そのときにこの藤田傳三郎さんがコレクションをしたそうです。
今回は藤田美術館の改装のため、奈良国立博物館に美術品を預けたそうなのですが、いろいろ調べてみるとかなり貴重なものも含まれていたそうで、曜変天目茶碗以外にもたくさん見どころがありました。

藤田傳三郎さんについては、実業家としての顔とコレクターとしての顔を別記事で書こうかなと思います。

曜変天目茶碗といえば、個人的には「有閑倶楽部」。
教養の無さが露呈されます。笑

こちらのツイートにもありますが「四碗目」となってますよね。
完全な形で残っているものは世界で3つしかなく、作られたのは中国なのに、なぜか全部日本にあるそうです。
作り方もいまだ解明されていないのだとか。

そのあたりの解説もしっかりうかがって、あとはじっくり本物を見ることができました。
ツアーは、200名くらいいたでしょうかね?
他の作品も見どころを事前に解説していただいたので、興味深く見て回ることができました。

鹿と戯れる奈良観光

いや〜、この日はとにかく暑くて…
友だちから教えてもらった葛料理のお店でランチ!
葛あんかけ丼。

鹿と戯れたかった玉紀先生を動画で撮る私…

東大寺は修学旅行生でごった返してたのでパスして、春日大社へ。

とにかく暑くって、早々に退散。
夕食も駅ビルで簡単に済ませました。

そういえば玉紀先生の「星に願いを」セッションもホテルで受けたよ!
このレポも別記事で。

芸術は爆発だ! 太陽の塔

大阪に行くならぜひ行きたかったのが、太陽の塔。
昨年より内部が一般公開されていて、予約がいっぱいでなかなか見られなかったのですが、ようやく落ち着いてきて平日ならゆとりがありそうでした。
また、最近になって、塔内部の1階のみ写真撮影もOKに。

1967年より設計が始まり、万博は1970年。
岡本太郎さんのラフスケッチも公開されていました。
*これはもうだいぶ完成形に近いスケッチ。

ミニツアーの形式になっていて、予約時間ごとにガイドさんが簡単に解説してくれます。
万博時は、縦の動線を確保するための移動手段だったとのこと。
両手の部分から外に出られる構造だったそうです。

そしてもともとは使用が終わったら取り壊す予定だったらしく、反対運動があって残されたとのこと。
でも補修しきれない部分もあるようで、当時あったエスカレーターは撤去済み。
ディズニーランドもない時代に、これだけのものを目にすることができたなんて、当時は素晴らしかったでしょうね〜
今見ても、今の時代のものと遜色ないファンタジーです。

ツアーは30分弱くらいですが、大阪に行かれたらぜひ立ち寄ってみてくださいね。
何がすごいって、あの時代にこれだけのシュールなものを作るのに、お硬い行政から予算を引き出して作ったということです。(そこ!?)
岡本太郎さんのホロスコープも別記事で取り上げてみたいと思ってます。
あんまり「爆発」してる感じがないんですよね…

また行きたい!

ということで、あっという間の2泊3日でした。
結局、大阪の街は観光できなかったし、粉もんも食べられなかったのでぜひまた行きたいです。

藤田傳三郎さん、岡本太郎さん、星に願いをセッションについては、また後日!

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事