気づいたら1月はどこかへ消えてしまって2月になってました。こんにちは。
節分が過ぎて立春を迎え、年が変わりましたよ〜
戌亥天中殺の私は、年運天中殺が明けました。

私も!私も!と同じ戌亥天中殺族がコメントをくれました。
みなさんもお疲れさま!

天中殺とは

専門ではないので、ざっくりとした理解による解説ですが、欠けているものを表します。
私なら戌と亥の成分が欠けています。
人によって違います。

戌亥成分のない私が、戌年や亥年、戌月や亥月を迎えると、慣れない成分を取り入れることになって、調子が狂うわけです。
なので、「自分の思ったとおりにいかない」だとか「望んだような結果にならない、望んだ終わり方にならない」となります。
周りから見てもそう感じるかどうかは別。
というか、むしろ感じないのではないでしょうか。
だって周りの人は戌年には戌の気分だし、亥年には亥の気分なので。

どんな年だったか

人生を振り返ると、天中殺年はこんなことがありました。
この記事は天中殺前年に書いていますね。

こちらも参考までにどうぞ。
こちらは昨年の春に書いています。

受け身で過ごすって書いてありますね。

今回だけでなく、それよりも前もあわせて振り返って思うのはこんな感じ。

・おとなしくしてようと思っても、周りが騒がしく感じ、何かしなくてはという気分になる。
・普段持ち合わせないような欲が出てきて、やろうとしている内容がちょっと変。
・不本意に感じても流れには逆らわないほうが良い。この流れは主に「終焉に向かう」流れですね。

トナカイの閉店も、後を継いで続けるか迷いましたが、流れに逆らわないほうがいいよなと思った部分があります。
もちろん、一人では続けられないだろうと思ったことが大きかったのですが…
「後を継げない」戌亥天中殺族に後を継ぐ話が出てくるのも、戌亥の年っぽいですね。

父が亡くなったこともそうですね。
天中殺だから亡くなったという話ではなく、亡くなったことによる後始末をしたことが、ということです。
亡くなったのは酉月ですが、すぐに節入りし、戌月・亥月はひたすら実家に通ってあれこれ事務手続きに追われました。

そして先月の、まつい先生が亡くなったこと。
正直まだいろいろ書ける気持ちではありません。
ひたすら後悔の日々で、普段の私なら「後悔なんて時間の無駄!」と思いますが、それでも「もう少し私が頑張っていれば…」とか「もう少し早くに引退させてあげられてれば…」とか無限に出てきました。

そんな中思ったのが、「まだ天中殺終わってなかったや…」ということ。
最後にお通夜と告別式のお手伝いをしながら、「これも何かを終わらせる儀式かな」と感じました。

易で見た2020年の運勢

昨年末、ウラナイ8メンバーでスパに行って、今年の年筮を立てたんですよね。

山地剝という卦です。崩れるという意味があります。
昨年は最後まで「終わり! 終わり! いったんぶっ壊して新しく出直せ!」というメッセージを受け取り続けた気がします。

前回の天中殺中の12年前に占い師としてデビューしてまして、ちょうど干支が一周したので、今年はやり方なりスタイルなりを大きく変えていかないといけないのだろうなと思いました。

ちなみに去年の暮れに引いたのは風火家人の初爻。
易アプリが毎日の占いを通知してくれるのですが、父が亡くなった日の卦も風火家人でした。
家問題に取り組む年だったということですね。
トナカイもある種の「家」だったんだろうな。

おまけ

これだけだと何やらしんみりして終わっちゃいそうなので、まつい先生との楽しかった思い出など。
たくさんありますが、2016年の春にいっしょに仙台へ出張に行ったことでしょうか。

み「まずどこを観光します? 青葉城ですかね?」
ま「アニメイトでしょ!! ハイキュー!!のご当地ディスプレイがあるらしいよ」
み「まじですか! それはぜひ行かねば…!」
などとアホな会話ののち、仙台駅前アニメイトで騒ぐオバサン二人組…
(ハイキュー!!は仙台を舞台にしたバレーボール漫画です)

その後、青葉城に行くものの季節外れで路線バスが裏口にしか止まらず、日が暮れる中、迷子になりかけたり、帰りはバスの乗換えで夜景スポットに寄ることになって、キャーキャー言いながら夜景を見たり…
楽しかったなぁ〜
もっとあちこちいっしょに旅したかったですね。

終わってみて感想

これだけ読むと天中殺すごく大変て感じがしますが、自分にない要素を学ぶというのは必要なんじゃないでしょうかね。
偉そうに書いたけど、実家関係の事務処理は私のMPが切れててまだ終わってません。
もう弟に任せちゃおうかなぁ…苦手な作業なのに自分で頑張らないと!と思うのも判断力がずれてる気がしてます。

また一番大変に感じたことは、何かしなくちゃと思ってアイディアをひねり出すけど、ことごとく見当外れな感じだったことでしょうか。
「誰かが亡くなった」とかは悲しいけど受け入れるしかない事実で、天中殺のキモはそこではないと思っています。
自分と環境とのギャップとその調整に苦しむ年という感じかな。

私はまだ大運天中殺が始まったばかりなので(大運天中殺は20年続きます)、抜けてさっぱりスッキリとはいかないかなと思いますが、とりあえず「ギャップ調整期間」は終わったんじゃないかな。
戌亥天中殺のことをググってたら、やる気にいろいろ左右されすぎと出てきて笑いましたw
考えすぎて長時間虚無に陥る人も多いとか。あるあるですよな。

そろそろちゃんと動き出そうと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。

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