11:00~21:00 三上 牧(通常鑑定)
本日のんびりと座っております。よろしければぜひお越しくださいませ。電話やメールにてご一報いただけるとお待たせせず承れると思いますのでよろしくお願いします。

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新春・占い福袋2017年1月3日残3席です。お申込みはこちら

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先日、ブライアンクラーク先生の講座を受けていたとき、サンプルとして図を読んでもらいました。そこで、先生の言葉で目から鱗が落ちたように理解しました。理解できる知性と心の準備、暖かい受け入れ環境、タイミング。それらが合致して、突然衝撃のように理解しました、エウレカ!って感じです。

何かというと、わたしの中の「母親の影響について」です。わたしは蟹サインにアセンダントがあり、そこに土星が乗っています。占星術の教科書的な読み方どおり、アセンダントの支配星「月」でしかもICに合で4ハウス。乱暴に、ステレオタイプなものいいをすると「母親からの影響が大きい人」。わたしはここに対して腑に落ちない感をずっと抱えていました。自分の中の意識では、ほぼ両親に相談するとか思いつきもしないし、自分のことは自分で決め事後報告。友だちと家族との扱いはあまり変わりません。気分がのれば行くし、行きたくなければいかない。両親という人間の意見を過度に尊重しません。一応聞くが理にかなってなければ採用しない。「母親の影響が強い」という言葉に私自身良くないイメージがあるし、そう決めつけてきた人の価値観的にはまあ母親の影響がある人のイメージ像があり、それに従って私に言葉を発するので、わたしとしては「そんなことはないですよ」としか今まで答えようがなかった。でも母親の影響という定義を狭い視野感性の相手の言葉にはたいてい納得できず、「当たってない」という印象が反応として出ていたかなと。屈服させようと押し付けてくると、さらに拒否反応が出て、それを覆すために勉強に打ち込んできた気もしますね。

落ち着いて考えてみると、そもそも母親からの影響が少ない人なんているんだろうか?ということで疑問を持ちます。0から5歳くらいまでの月だけで生きている自分で何もできない期間というのは、母や保護者、養育者といわれる人の影響を多大に受けます。避けようがないないですよね。あと社会構造的に、家族を人単位として考える傾向もある。そういう外からの扱われ方を繰り返し経験していると、一番身近で最初に会った大人に影響を受けるのは当然だし、長い時間過ごすであろう母親(もしくはその役割に当たる人)です。無意識に刷り込まれ、刷り込まれることで生活というサイクルに適応していける人間になっていくのだと思うのですよ、そりゃ影響受けないわけがない。(仮に接する時間が短い、もしくはいなということであれば、その空白に対しての精神的に影響が出るとか)後天的にキャラクターに色付けされる一番最初の一歩だと思いますね、家庭環境って。

さらに、わたしは蟹土星持ちなので、そう断言されることがとても苦手でした。実際、わたしはいつも機嫌の悪い母親をみて、あんな風には生きたくないとそれを主軸に生きてきたような人間なのです。でもそれは、親自身が私のようにならないでとわたしを育ててきたのかもしれません。親の失敗を繰り返さないというのが子どもの定めでもあるといわんばかりに、親の悲願を背負ってきているともとらえることができます。これからは女も働く時代と言われて、家事を軽視する世代。わたしは同じ轍を踏まないように懸命に生きてきたつもりだったけど、輪舞のように巡り巡って、結局なぞらえるように節目節目で母と同じような選択を迫られてきたとも思えるのです。母親のように生きているように聞こえる「母親の影響が強い」とか言われてしまうと、カチンと来てしまうということだなと理解しました。

本当は問題は発言した人ではなくて、受け取った私がなぜそう受け止めるか、何にそんなに反応しているか?なんです。トリガーは他人の発した言葉ですが、その後は自家中毒みたいなものです。そういうところが、わたしの感情的なテーマの一面でもあるかなーと気が付いた次第です。そういう社会のフェミニズム的な何か。母親の世代の悲願を叶えるために懸命に対応してきたともいえるそういうのが「母親の影響」と言える部分なのかもしれません。わたしのライフテーマ的なことに、がっちり噛んできている。今なら影響があることを素直に認めることができると同時に妙に納得したのです。途端に今までの拒絶していた自分がおかしくなり、思わず笑ってしまいました。一つ思考の枷が外れた瞬間です。

今回、わたしがそっかと素直に気が付きそんな自分を受け止めたのも、やっと母親であり同時に一人で生き抜いていない力不足な自分にあきらめがついてきたから。セカンダリープログレッションの月も10ハウスを回り、社会からそういう風に見られてもまあいいかなと思い始めているのではないでしょうか。他人からするとまったくもってバカバカしい一連の茶番ですよねえ。まあぼちぼち働き、家庭の雑務もぼちぼちやり、他人と共存しながら生きるんでもいいじゃん、今更戻りたくもないと思い始めてるとも言えます。なんだかんだいってわたし柔軟宮の月がアセンダントのルーラーで、そういう環境にぶち込まれたらそれはそれでしばらくぶつぶつ言いながらも、めんどくさくなり適応するこだわりのなさに意外と救われています。ごね続けるとか、かなりの無理ゲーですし、それで結構。みなさんも、ぜひ拒絶感ある言葉を探ってみて、そしてその言葉の印象、ぜひ日記にでもして書き留めておくことをお勧めします。嫌いな言葉100個ぐらい見つけるとなにか見えてくるかもしれませんよー(みかみまき)