11:00~21:00 三上 牧
本日がらあきですので、よかったらお越しください。お待たせすると気になってしまうたちなのでぜひ事前にご連絡いただければと思います。メール(caribou.lynxhare@@gmail.com)か、お電話(03-3220-9477)でご連絡いただけると嬉しいです。
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IMG_9005GWも終わってしまい、抜け殻的な方も多いのではないでしょうか?今日は夜にずっと逆行していた木星が順行に戻ります。その前の今の時間帯はちょうど、止まっている感じ。今日は予定を詰め過ぎず、やり過ごすというのが大事かもしれません。

うちには人生をスタートさせたばかりの伸び盛りの人がいて、その人を毎日観察するのがわたしの仕事1つみたいなものですが、なかなか学びがあります。自分ではない人=他人、生まれた時から一緒にいたとしても自分の考え方通りには動かないもの。そして成長していろいろ経験していくにつれ個性を発揮していくわけです、人として。占星術を学んでいると個性を種のような先天的なものようなイメージが浮かぶのですがそれだけですべて決まるってことでもなくて、それをどう育て伸ばすのは後天的な能力だなと思っていてます。どう伸びるかは何をしたかであり、どのような環境に自分がいたか(もしくはどのような環境に自分が自分を置いたか)でもあり。なにより、何を経験したか?というチョイスの関わる根底は「やる気(=モチベーション)」という何とも曖昧なものに支配されているものですよね。モチベーションってどうやって得るか?というのは、大人になっても課題ですよねえ。わたしは結構な年月生きていますが、いまだに自分もやる気でなくて「やらなくてはいけないこと」を後回しにしがち。自分ではない人に、一言物申すにも躊躇しますね。現状では、それでいいのか?ともやもやしながらも放置していますが、これはこれでかなり精神力のいる話なんですよ。世間がわたしに私が負うべき役割を問いかけて来たときに、気持ちの上で無力化し、気にしないというのはそれなりに忍耐力が必要ということに最近気が付きました。シンプルなようで「責任とれるの?」というものすごいグラヴィティがかかってくるよなあと(年齢が上がるごとにどんどんプレッシャー強くなる!)監督責任を問われる立場としては、「私はやることやっています」という教育ごり押し主義の方が「ちゃんとやってます」感がわかりやすいので、そっちに走りがちというのがよくわかる気がします。そして、責任を問われる側が自分の人生に確固たる自信を持ち「自分の生きたいように生きる!」と経験と自信が背後になければ不安になるってものです。見失って生きている場合、「責任」を問われたら縮み上がりますよね。不安なあまり、念には念をと過保護やガミガミさん召喚、無難な生き方計画強制ということにもなりかねません。

こういうのって、太陽と月の関係性と、その棲み分けなんじゃないかと思うのです。自分のために自分に鋭く問う。毎日の「生きる」や「働く」に意味や目的を持たせずして、6ハウス的に働く&生きるというのは本末転倒な気がします。さらに肉体の保全(=月)を中心にして生きるというのは、自分の決断に自分で責任を持つという基本的な力を弱くしてしまうかもと(これは自己責任という言葉とはまた違う意味です、念のため)。世間の目に迎合したり世間的正しさにただなぞらえたりとは違う「わたしは何のために働きそのためになにをするべきなのか」という目的を自分に引き寄せた生き方は、射手座の土星の今この時期に大事なんじゃないでしょうか?それを心の底から納得して腑に落としているなら、生き方に正しいという形は千差万別となるはずなんですけどそれを信じ切るというのもまた精神力がいるというもの。暑苦しく押し問答するというのは結構、体力使うから避けがちなんですけどね。(みかみまき)