11:00~16:30 向真希(終日ご予約満席です、ありがとうございます!)
17:00~21:00 まるごとmaru
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初めて一人で行った海外はフィリピンでした。一時帰国する友人に誘われてついていくことにしたのですが、私はコピーライターです。南青山に事務所を開いて、時代のおかげでかなり忙しく。帯番組でスケジュールの厳しいテレビ関係とか、いくつかのレギュラーをちょっとだけ休ませてもらってわずかな休暇を得たのです。
30年前はまだネットもスマホもなくて(パソコン通信のためにNEC98を買ったのがこの翌年ぐらい)この時代の旅行は大変だったよ。『地球の歩き方』すらまだフィリピン編が出ていなくて、豪華ツアー向けのガイドブック(ほとんど役に立たない)と、政治経済文化と本屋と図書館のいろんな棚でいろんな本を手当たり次第買って読みかじって相当偏った知識とともにフィリピン航空の飛行機でマニラへ向かいました。28歳。太陽はまだ輝き始めたばかり。
熱帯医学の本を流し読みしたせいで「生水を飲んだら死ぬ!」と思い込んでいたので、食べるのはアドボ(ご飯に肉の煮込みがのっている料理)だけ。やたら市場へ出入りしては果物ばかり買っていました。バナナなら大丈夫のはず。マンゴーが美味しそう。アボカドの皮がきれいな緑。ナイフを手持ちの濡れティッシュでふいては皮をむく。肉と果物に生かされる日々。アメリカ映画を観に行ったら、タガログ語字幕で笑いのタイミングがずれていたけど、英語を必死に聞き取る私もちょっと遅れて笑えるので周囲と同時に笑い出してちょうどよかったのでした。映画館のそばには「サムライフード」と称するたこ焼き屋台がありました。
最も暑い季節だったので毎日35度。今の東京だと35度に驚きはありませんが、当時は常識外れの暑さでした。新しい住宅地はインフラがまったくととのっていなかったようで、泊めてもらった友人の家は気まぐれにしか水が出なかった。汗と埃で真っ黒になってもバケツ一杯の水しかなくて、歯磨きも洗顔も身体を拭くのも全部をその水だけでまかなう。地方のお祭りに行って目の前で発砲事件を見ましたが(怖かった)それより水が自由に使えないことにまいっていたような気がします。
暑くて汚くて怖くて水がなくて。一人になると号泣したりして東京が恋しかった。帰国の日が待ち遠しく、二度と来ないだろうと思いながら逃げ帰りました。しかし(よくある話ですが)帰ってきたらマニラのことばかり考えている自分。東京の日常はいちいち不思議なことばかりになりました。なぜ水道からあたりまえのように水が出るんだろう? なぜどこで何を食べても安心だとみんな何も疑わないんだろう? なぜ電車は時間通りに来るんだろう? 渋滞のとき車の間をすりぬけるように石鹸や煙草を売る子どもはいない。道に寝ている人もいない。あの暑くて汚くて水がなくて、お金持ちとそうでない人たちの差がありすぎる街で、だけど多くの人が笑っていた。なぜ清潔で涼やかな東京で私たちは笑わないんだろう? 生活も文化も空気も東京とは全然ちがうところへもう一度行きたい。それから私の、旅するように暮らす毎日が始まりました。
旅によって「自分」が変わることはないと思います。たかが旅です。たかが結婚、たかが転職、たかが子育て、たかが占い……何でもそうです、そんなことで人は変わらない。人生だって、そう簡単には変わらない。(介護だけは「たかが介護」とは私にはいえません。この世で「経験した人にしかわかってもらえない」ことがあるとすれば唯一介護だと思っているので)
けれども、自分が変えたいと強く願うなら、自分で自分の人生を変えることはできる、と思うのです。
あのときマニラへ行かなかったら私は、旅するように暮らす毎日も知らなかったし、暮らすようにアジアを旅することもなかったでしょう。亡くなった夫は数年後の長い旅のパートナーでした。あのときマニラへ行かなかったら、私は家庭をもっても南青山でコピーライターとして変わらずに仕事をしていたと思います。そして何よりも占い師になるなんて99%以上ありえなかった。輝く太陽は土星によってちゃんと方向を指し示してもらえて、人生はそのなかでダイナミックに展開しながらやがて完結していったでしょう。そこからハミ出る人生があるとは思ってもみなかった。
仕事柄、自分の未来像は相当バリエーション豊かにイメージしていましたが(本も書くだろうし、子育てもするだろうし、俳優のプロデュースもするだろうとか。全部現実になりました)しかし、占いの世界で仕事をすることになるなんて本当に思ってもみなかったことです。たとえていえば国連でスピーチして世界中の人に聞いてもらえることより占いに関わる方が少ない確率(と、そのくらいありえないことだと思ってください・笑)どこかの時点で私は、現実をコントロールして人生を完結させてくれる土星の境界線からちまちまとふわふわとハミ出ながら、いわば土星の枠をぼやかして海王星領域まで広げて生きることを選んだのだと思います。海王星には旅を意味する側面がある。
30年前の私に「あなたは30年後占い師になっているよ」と教えてやりたい。このお店日記を読んでいるあなたも、人生、何がどうなるかはわかりませんよ、と。
この世に生まれてきて、十分に生きたいと思う。本当の自分がわからない。自分らしい人生ってどんなだろう。生まれてきた使命を知りたい。--そのためには、自分の人生を自分で変える経験をしてみるのもいいと思います。手っ取り早い方法として「旅」はおすすめです。何かや誰かを待っているのではなく、最も自分らしい自分を自分自身で見つけましょう。旅の行き先や、旅立ちの時期、旅先でどんな自分が発見できるのかなどは西洋占星術でばっちり読み解けますので、どうぞご相談ください。(向真希)
(30年前マニラのキアポ市場で買った籠ふたつ、まだ持っています。つくりがヤワすぎて外へ持って出ることができないため家計簿や大事な書類の保存用。向こう側に映っているのは隠れ家サロンで隠れた人気を誇ったタイで買った箒。この季節は自宅近くで枯れ枝やドングリが拾い放題です。)