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お茶の子さいさい。という言葉があります。その語源はいくつかあるのですが、お茶の子を食べるように簡単であるという説が有力です。
お茶の子とはお茶菓子。お茶を飲むときに食べるお菓子のことを指しています。
お茶菓子という言葉はとても控えめで美しいものです。自らを主張するのではなく、あくまでもお茶が主体。お茶を美味しく飲んでもらうために、お茶の時間を楽しんでもらうために、菓子自体の主張は一旦引っ込める。
そんな場の空気が読めるお茶菓子。どんなお菓子でもお茶菓子になることはできます。とにかくお茶がある空間にあるお菓子はお茶菓子になってしまうのです。
たとえば砂糖菓子は完全に自己を主張しています。砂糖でできたお菓子だから、砂糖菓子。とてもシンプルです。
しかし、お茶菓子とは何なのかを考え始めると、知っているようでその実態を見きわめるのは本当に困難なことが分かります。
お茶に焦点が合ってしまうが故に、お茶菓子の存在はきわめて希薄になり、形而上学的なお茶菓子がそこに存在しているということ以外、何も見ることができなくなってしまいます。
もちろん唯物論としてお茶菓子を捉えることはそれほど難しくはないでしょう。しかしそれはお茶菓子の本質と大きな隔たりがあり、単に個別のお茶菓子を論じているにすぎないのです。
お茶菓子のメタファーはお茶菓子という総体でしかとらえることができない。日常の風景に何気なく溶け込んでいるお茶菓子という存在における不思議。
それはひとえにお茶菓子がお茶を主体として成り立とうと決めたその時から、人々を安寧という名の牢獄へといざない始めたのかもしれません。
お茶の子、さいさい。何気ないこのフレーズひとつ取っても、何を伝えたいのかぼやけてしまい、観測は困難なものとなってしまう。
それでも人はお茶を飲み、お茶菓子を食べる。その空間には幸せな空気が漂い、暖かな安らぎが得られることだろう。
お茶菓子が万人に等しく与える幸福感は、ねじれてよれて絡まった思考を、静かに柔らかく解きほぐしてくれる。