今日は一日、琴都音ちゃん在席日
12:00~20:00 宮琴都音さん→

昨日のトナカイはいれかわりたちかわりいろんな方がいらっしゃり、にぎやかな一日でした。予約時間以外は、結局ずーっと飛び込みの方をタロットを読ませていただき幸せだったです。そんなわけでご予約鑑定の合間にいただいたメールの返信などをしようかとも思っていたのですが、結局ほとんど進みませんでした。すみませぬ。告知事項もたまっている…。4月には福岡トナカイですって→ ノマド型店舗というか一地方一店長制か。そいで戦国時代に突入か。安土桃山。妄想を語らせてもらえれば、まつい4年後には5万円くらいの最低限ワンルーム住まいになって、月の半分くらいはいろんな地方で講座とか鑑定して暮らしたいです。全体的な連絡とかの統括業務は下北トナカイさんに委託して、中野トナカイは研修店舗の色合いが濃くなるんじゃないかな?なんかそんなことを考えていて、オラ楽しくなってきただ!(店長・まつい)
●8ハウスの話(2/28 の日記の続きです)
~28日分の採録~
「昨日の読み会で、8ハウスの話になり、調子にのって大きく本題よりそれそうになったのでここに書きますね。8ハウスってこの現実の生きている私たちの人生に対応させると、具体的にはどこの現場になるのでしょう。簡単にいえば「集団所属の現場」ですね。個人や個性は、8ハウスの現場では消されて、集団の一員であることを余儀なくされる。「~~家の嫁」とか「~~社係長」とか。(このあたりは初級講座でも説明していますが)加えて8ハウスは、所属していることに対する安全感覚とか、安心感覚も含む現場でもあるのかなと思います。たとえば8ハウスが水瓶サインなら、みんなが平等で友愛意識に満ちているという集団になら属して安心みたいなイメージ。太陽が8ハウスにあるのなら、目的意識やプライドは、やはりなんだかんだいっても集団に所属することで守られ達成するんだと思います。(続く)
(続き)
しかし8ハウスをもっと広い意識でとらえると、人間が個性とか個人の自我をいったんストップさせるという意味で、山や海、自然の中に居るという状態も8ハウス的な感覚があります。自我の存在を忘れるほどの圧倒的な環境の中にいて、自分個人ではなにもどうすることもできないし、その必要もないという場所という意味で、自然環境の中に身を置くという生き方もひとつの解釈だと思います。8ハウスの太陽は、先祖のなにかを継承し引き継いでいくのですが、大自然という環境そのものが、先祖から連綿と引き継いできて、また伝えていくという根本のなにかなのかもしれません。マクロとミクロは相似であるという占星術の理屈の中で、4ハウス8ハウス12ハウス、いわゆるこの3つの水のハウス(水の場所)は、自分の心の内側で閉じた場でもあり、いったんつかまえれば外側へ永遠に拡大していく可能性のある場でもあります。心理の現場を具体的な現実の現場として説明するむずかしさ。8番目のサインである蠍座であれば、この感覚は、サインは意識の説明ゆえにわかりやすいのですが(とらえるべきものはすでに選別させていて、そして捕らえたら離さない)、現場をあらわすハウスだと、この感覚は広範囲に意味が散らかる感じがします。ネイタルにおける8ハウス上の天体を読むときに、単体でその場だけを読むことは逆にむずかしすぎます。他のハウスにある天体とアスペクトという通路を持っている部分まるごとみてからが、解釈の勝負が決まる感じがします。引きついで引き継がせるもの、それをどこの現場との関わりで具体化しようとするとする意識なのかを考えなくては。そしてなによりサインの意味ですね。8ハウスのサイン、12パターンは、それぞれを一遍の文学になぞらえてもいいかもしれない。7ハウスで他者との影響を受けた後に、9ハウスで自分なりの外側の世界観を追求し構築する。その間の「溜め」の現場は、物語的な魅力にあふれた場だと思うのです。他の誰にも明かしていない、わたしだけの「環境や他者との物語」が8ハウスには埋め込まれているのです。そう考えると、なかなか8ハウスの天体は読むのがエロチックな気がしてきました。