12/17(日)の11:00~21:00は有元祥子がウラナイトナカイに出演しています。

鑑定メニューは基本的に〈総合鑑定〉となり
30分 5000円
60分 10000円
の2パターンとなります。
その他のメニューは☆こちら☆をご覧ください。

本日、とくにご予約はありませんが早々に鑑定枠が埋まることもありますのでご希望の方は、早めにお時間を確定するのがよろしいかと思います。突然来ていただきましても大丈夫なのですがお客様が重なるときもありますので可能ならば03-3220-9477(ウラナイトナカイ)にお電話をいただいて、予約状況を確認してくださると助かります。

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2018年最初の講座は【サバイバル占星術:土星編】です。
2018年を自分で設計して動かしてみませんか?
詳細は ☆こちら☆ をご覧ください。

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◇【聴き屋 有元】はじめました◇
お客様の話を聴くことに特化したメニュー。それが【聴き屋 有元】です。
詳細は ☆こちら☆ をご覧ください。
12月の開催日は、16日(土)と23日(土)です。

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2017年もあと2週間を残すのみとなりました。今回は星と関係ありませんが(今回もか? つか、そもそも星に関係した話を書いたことがあるのだろうか? ここに)
今年から来年にかけて、取り組んでいきたいことのきっかけとなったことを少々。

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お正月を迎えられることは当たり前ではなく、限りなく奇跡なんだと思います。

ふとそんなことを思ったのですが、そのきっかけは、すでにこの世にいないあるスポーツ選手から『プロレス好きはいいとして… どうしてディーノ(が好きな選手)なの?』(私はDDTというプロレス団体所属の男色ディーノ選手のファン)
といわれたことを思い出したからでした。どうしてかはわかりませんが、その言葉がずっと心に残っていました。

『どうして?』といった方は、怪我をしていたとはいえ、見た感じはとても元気で、突然亡くなるとは思えませんでした。それがケガとはまったく違う原因で亡くなった。その前の日に会って、明後日もイベントで元気な姿を見るはずだった方が、突然目の前から消えてしまう。
そういう体験をして『あー、ずっと同じはないんだなぁ』と身をもって知ったのが2年前でした。
ふと思い出して、そこからつらつらと、いろんなことを思い出したり考えたりしてみると今、ここに存在していることは、当たり前じゃないと気づく。

占いをしていなかったら、会うこともなかったであろう、全国から来てくださるたくさんの方とお話できること。

歳を重ねられること。自分が存在出来ていること。産まれて今、生きていること。
ご飯がたべられて、それを美味しいと思えること。気持ちを伝えられること。
大好きな人と同じ時代を生きていられること。
大好きな人と同じものや景色を見られること。
大好きな人のぬくもりを直接感じられること。

毎日、電車に乗って会社にいけること。今の会社で働いていること。喜んだり、注意を受けて凹むこと。

我が家のお犬様は、殺処分前日に保護団体の方に引き取られて今、我が家にいる。

そう思うと、すべてのことに『ありがたいなぁ(=奇跡&感謝)』と思う。年取ったせいかな? とも思うんだけれども。

さまざまなことに感謝することは素晴らしいと思いますし、感謝の言葉を口にすることで、行動が言葉先行で進むこともある。けれども、中身が空っぽだったり、欲からくる行動だとしたらば、いずれゆきづまる。

むかーしむかし、一休さんはお正月に『ご用心、ご用心』と髑髏を持って街を練り歩き、縁起でもないといわれたって聞きますが、禅僧だしね、一休さん。頭よすぎてイっちゃってる感が強い方。(あくまでも個人的感想)【門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし】でお正月に髑髏。
仏教とはいっても宗派があり、根底にあるものは「慈悲」など同じなのですが、宗派によって表現方法が少しづつ異なります。禅宗は、言葉で理解するとかだけじゃなくって、それを超えたなにごとかを自分のものにするのが教えの一つだから、腑に落とすためには、視覚化するっていい方法なのかも。とか思う。

で、一休さんを思い出すとわたしの中においてセットで思い出すのが、槇原敬之さん(以降マッキー)。一休さんの現存似顔絵がなんとなく、本人に似てるようなきがする(これもあくま個人的感想)。

マッキーがこの数年、ラブソングだけではなく〈ライフソング〉というカテゴリーで楽曲を作っていますがあの人、何かの瞬間に悟ったんだと思うんですよ。
あたくしはマッキーじゃないから、ほんとのとこはわからんけど。

嵐でも関ジャニでも、東方神起でもよいですが、いま、リアルタイムでイキのいい姿を見られることは、タイミングなんだともいえますが、そのタイミングも当たり前じゃない。

タイミングって、偶然とかたまたまとかとイコールではない。
『タイミングが悪いなー』って言葉は、『偶然が来ねーじゃん』という、誤った他力本願の使い方をギラギラと前面に押し出しているようで、自分の中でそう思っちゃってからは軽々しく使えなくなってしまった。

当たり前はなく、ずっと同じということもない。偶然は、それまで自分が築いてきたことの結果であるから必然でしかない。

そう思ったり、ほかにもいろいろと思うにいたってから、私の中で『悔しい』とか『寂しい』とかの感情がほとんど消えてしまい、ギラついていた脂っこい感情がなくなり今、わたしの心は平穏になっている。ナギの状態でほんとに穏やか。

諦めてしまったとか、やる気がなくなったとか、感情が消えてしまったわけではないから、パチンコで負ければ『チッ』と思うし、勝てばうれしいとかはある。仕事で迷惑をかけてしまったら、申し訳ないと落ち込んだりもするが、そういうことがあったからといって、自分の人生の不運を呪うような気持ちや言葉を発することはない。

渋谷駅で朝のラッシュ時におっさんがぶつかってきて、『ジャマだ、どけ!』と肩をどんどん突かれても、怖くもないし、イライラもしない。『あー、この人も大変なんだなぁ』と思うだけ。

隣の芝生が青く見えなくなったので、とても穏やかだからかもしれない。(隣の芝生は青く見えてもいいと思ってるけどね)

この世に生きている全ての人が、もっと穏やかな気持ちで過ごしていられればいいのになぁと思うのです。(有元祥子)