11:00~21:00 三上 牧
*15:00~17時、18時20分~19時はご予約いただいています。

本日、比較的のんびりしております。お待たせしたりするのは申し訳ないので、お電話でご連絡いただくか、メールにてcaribou.lynxhare@@gmail.com (@を1つ抜いてご連絡ください) ご連絡いただければ幸いです。
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※ 『水晶からあなたへのメッセージ郵送します。』をまた始めました。対面鑑定には来れないという方・・・よかったらどうぞ。

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この夏は、うちにいる若者の希望であちこちの学校見学に付き添っていました。ぼーっと学校の説明のスライドとか見ていると、自分の昔を思い出しました。最近の学校というのは本当に国際化に沸いていてどこもかしこも国際的な視点を養う教育、です。射手座冥王星の世代らしい教育だなーと思いつつ、自分の時代(いて海王星)と比べると、なんといううらやましい環境だ!と思いました。その一方で、どこの学校も部活動に積極的に参加させたがっているのを聞いていて、不思議な気持ちになりました。私の学生時代本当に華やかさにかけ、とても質素だったなあと。

時間はある意味平等にみな24時間です。それをどう使うかが「差」や「違い」を生むとは思っていて、そういうのは学校の先生もよくわかっているのだと思います。確かに、何かに熱中するなんて大人になったらものすごい贅沢になるから、若いうちにやっておけばいいとも思います。好きなことをするというのはどういうことなのか感覚的に覚えることや頑張るという経験する時期には適切な気も。

学生時代のような、まだ何物にもなっていない定まっていない時期を何に使うか?というのは結構な人生の分かれ道的に思います。今どきの学校は部活に勉強に両方すすめてきますね。こんなに部活推しを学校がしたらバイトする時間ないじゃんとも思いました。その反面、わたしは部活をする時間(学校関連に時間を使うこと?)を犠牲にしてバイトしていたんだなとも気が付きました。

色んな学校の説明会をずっと聞いていたので、フラッシュバックして、私はほとんど学生の頃、学生らしいことしていない割にあまり後悔していないなとふと気が付きました。

あれどうして後悔していないのかとしばらく考えて、留学をしていた間に、青春の未消化部分を消化してたんだとはっとしました(当時25歳とかだったので10年delay)。もちろん、留学中には一生懸命勉強していたのだけど、いろんな人と交流して遊びに行ったり話をしたりというのも大切な時間だったのだなと気が付いたのです。学生期にこなし切れなかったことがずっと自分の中で引っかかって温存(?)され消化されるのを待っていたんだなーということに気が付いて自分にびっくりしました。

この留学の表向きの目的はキャリアアップのためであり、そしてそれはバイトを目いっぱい詰め込むことで達成することができたことでもあります(親はない袖をふれない、その代り口も出せない)。あんまり私のキャリアには役立ってないわりに後悔はなくて、留学中にわりと得たもろもろは、楽しかったなーという思い出などキャリアとはあまり関係ない無駄っぽいことこそがなんとなく自分の癒しになっていると思います。そしてあとから足をひっぱたであろう「10代でうまく人と付き合えなかったトラウマ」を、ここで解消していたのかもと。

頭で考える合理的さとか、有効性、実際的というのは案外もろくて、時間と共に使い物にならなくなったりするもので、わたしが持っている学歴や資格(国家資格も持っています)やキャリアはなかなか履歴書に書いてもあまり魅力的じゃないものばかり。はっきりいって見栄えがしません。でも、別に困ってないし、逆に効果を期待していなかった経験などがいつの間にか積まれてスキルとなっていたりするから、本当に不思議です。そんなツギハギが人生なんだなと思いますね。思い描いてる部分だけでは結構足りなかったりとか、まあそんなに計画通りにいかないよね、人生というのもあり。

占星術でいろいろお話を聞いていると気が付くのは、まともな大通りを効率的に何の無駄もなくまっすぐ進んでしまって、ふとある日気が付くむなしい気持ちを埋めるために、取りこぼしてきた未消化の想いを掘り起こす重要さです。わりとその価値を軽んじられ、粗雑に置いてきぼりにされている”想い”があったりします。そしてその未消化部分は後悔として、割と人生の要所要所で足を引っ張ってくるなんだかわからないものになりやすかったりしますね。後悔の毒性は甘く見れません。そのまま結婚して子どもを産むと、負の遺産として子どもに託したくなる想いとしてひょっこり顔を出したりします。

何歳であっても、私という個体はわたしであり、それは死ぬまで普遍的なんではないかなと思います。課題や想いなども、消化されるまで私の中にいて、チョイチョイ気持ちの中に浮かんで来るものだなと。Better late than never. 若い頃よりもある意味で実行しにくくあり、経験を若い頃より積んでいるから実行を決めたら達成はたやすいかもしれません。

今さらチャレンジなんて不可能と言って目を背けちゃうのは、もったいない気がします。大幅に今までの生活が変わってしまってしまったとしても、遅すぎるということはないと思うのです。

正直にやってみたことを人生の目標にしてみるというのはとてもよさそうな今回の月蝕なんではないでしょうか(明日の明け方頃、獅子サインの最後の方で起こります)。金星期の未消化部分はパズルのミッシングピースだったりするもの。そこを拾うと思わぬ視点が得られ目からうろこ落ちるかもしれませんよ?