天王星を考える
本日は12:00~19:00会田ゆうさん→が、在籍です。今月の会田さんのトナカイでの鑑定は今日だけです。トナカイで会田さんの鑑定受けたいなーというかたは、今日という日を逃さずぜひどうぞ。
ところで会田さんのことを考えていて、初級講座のときに、これ説明しておけばよかったなというのが一個思い出しました(会田さんってとても天王星的なイメージのあるかっこいい女性です*冴えてる!)。天王星の意味は「変わったこと、動きが不明、斬新、革命的、突然」とかいうふうにエキセントリックな意味があてはめられています。この天王星が牡羊にあれば「衝動的」とか、射手にあれば「革命的」とそのまますんなり読めばいいのですが、天王星の意味とかけはなれたイメージのサインに天王星がある場合、どう読むの?ということがあると思います。たとえば蠍とか、山羊とか、いわゆる保守イメージのサインに革新の星が入っているとき。これはそのサインの意味の中で革新であるということです。牡羊も射手もそうなんだよ、12サイン全部。蠍の天王星は、蠍という対象に集中するという意味のなかで革新であるとするということです。変容するための関係性ジャンルにおいて、なにか変ったことをする、ということね。10年くらい前に終身雇用制が終わり、年金も、少子化が進み満足な額がきちんともらえないような時代がくる、だから「自己責任」ということがとてもクローズアップされて、わたしはそのころ株と経済の雑誌仕事しながら、占星術の勉強をしていたので、ぼんやりと「これからは個人のチャートの中の天王星の扱い、つまり何によって自立していくのか」が重要になるのかもと、なんとなく思っていたのですが、天王星が牡羊入りのタイミングでそういう読み方いれてもいいのかもしれないですね。なにか元気の出る要素として使えるなら、それはそういうふうに読みたいんだという欲もちょっとあります。ひとりでいること、みんなと違うことは、かなしみの裏に喜びもあるという可能性。これはわたしの天王星が3ハウス(新規にとびこめる場)の獅子座(人生はドラマチックだと信じている)にあるという偏ったフィルター通した解釈ですが。(店長・まつい)