火星期の怒り
11:00~17:00 向真希さん→

15:00~20:00 如月沙世さん→
火星期(35~45)の人はいっぱい怒り、怒って当然だと思っているけれど、45歳過ぎて木星期になってもずーっと怒っている人をみると、こちらのエネルギーも吸い取られるような消耗感があります。45歳過ぎたら、正当な怒りを持つ45歳以下の人たちのうまいフォローにまわらないとなーと、最近はそんなことを思う。怒る時期にいっぱい怒らないと自分の芯の部分形成できない。幼児期や思春期の反抗期もその一種ですよね。喧嘩は自分の芯と相手の芯の折り合いをつけるためのハウツーとして、体験はあってもいい。人間関係って、極端にばーん!と切り離さなくても、ゴムのようにびよーんと伸ばして距離を置いておくとか、すぐになにかを決めずにいったん保留とか、そうしておいて感情的なことをひとつずつクリアしていく(時間が解決というやつかな?)という方法を木星期には学ぶのです。なので逆を返すと簡単に誰か特定の人の味方になったり、徒党を組んで主張したりはあんまり木星期っぽくない。火星期でがんがん「わたしはこういう人!」というのを出し尽くしたら、基本木星期は主張的立場は「ひとり」でないといけません。平均的に誰のどんな状態でも、スポンジのように人の間に入ってへっちゃらでいる必要があるよ。45過ぎてからの職場では、完全にそのポジションを求められますよね。なので35~45歳までの10年間、やりたい放題で暴れまわった人は、割合よい中間管理職になれたりします。火星期にぶすぶす不満かかえてくすぶった人は、木星期になってトラブルメーカーになりがち。火星期を引きずった木星期ではなく、自覚して50歳までは火星期やるんじゃ!というのなら、それはそれはいいですが、無自覚だとやはり周囲に迷惑がかかるよ、自分への負担も大きいよ。とか考えていたら、葉月綾乃さんのブログ→ にちょっと近いことが書いてあって、そうそうそう!と100回うなずきました。昔はね、35歳くらいはみんな子育てしていたんですよ。25くらいで親になるので、太陽期はシンプルに生命維持に集中して、火星期は思春期の子どもたちを社会の中に出してやるためのあれこれがあって。そして高度成長、バブルの時代と仕事もいくらでもあり、忙しくできた。今は自分のエネルギーの扱い方をコントロールしないと、すぐにバランス崩れる世の中なんです。エネルギーの受け皿が仕事や環境ではなく、対人間というか、おつきあいになりやすいんだよね。(店長・まつい)