売れるものの話2
本日のトナカイ
11:00~13:00 三重円を読んでチャンスを掴む講座
14:00~20:00 ミズマチユミコさん→
14:00~20:00 芳華美々子さん→
***お知らせ***
1月16日(月)下北トナカイにて、三上牧さんの水晶とパワースポットめぐり講座があります。残1席
2月4日(土)から全5回で、芳華美々子さんの初級タロット連続講座(大アルカナ)が開催されます。募集中
***昨日の続きです**
「売れるものとは、自分のエネルギーを注ぎこんだあげく手を離したものだ」ということを話すと、たいがいの人は、「手を離す」という部分で???となります。たいがいの人は、エネルギーを注ぐというのは理解できるので、とにかくガンガンと注ぐんですね。とくに好きなことを仕事にしたいというタイプの人は、適当なところで世間にさらすというのは恥だという気持ちもあるので、容赦ないです。ところが入れ込みすぎると手を離すタイミングというのがわからなくなる。売り物にするというのは「手を離す」ということです。
「手を離す」というのは、離した先の環境を信用することです。環境を信用して、自分が打ち込んだということをいったん忘れる必要があります。手放さずにずっと気持ちを入れることをひきずってしまうと、できあがったものに「もっと、よくなるのではないか」「これでいいのだろうか」という、迷い成分が出てしまいます。もっとよくするのなら、次のものをよくすればいいだけの話です。手を離すというのは、世間に自由に使ってもらうという覚悟が入っています。自分の意図と違うかたちで受け取られることを怖がる間は、どうしても手を離せません。売れるモノ、つまり大衆性というのは、送り手個人の意図を超えて一人歩きするものなので、投影や用途については、手にした人の自由でよいよ、という許可が必要なんですね。アイドル=偶像ですが、売れているアイドルはみんな、どんな人がどんな形でファンでもへっちゃらという、特殊な感覚を生まれながらに持っています。見知らぬ人に強烈に愛されてもへっちゃらと、ある部分、一般的に壊れているようなタイプが売れっ子になるのです。愛してほしいだと違うんですね。愛されても平気。どういう思われ方していても、スルーできてしまう。ある意味、自分で自分を手放しているわけです。自我が弱い(無自覚は最強です。売れているアーチストや作家もそうですね。自分の作品がどういう受け取られ方、聞かれ方、読まれ方かには、そんなに執着しないのです。うれしい聞かれ方や読まれ方はあるのかもしれないけれど、基本好きなように受け取るといいよ、というゆるさがかならずあります。他人がどう思うのか?という自意識は、作品が完成したとたんを切り離してしまう。そして、その分のエネルギーを次の仕事や作品にまわす。一見無責任に思えても、やっぱり売れている人たちは、手放した先、ユーザーを信用している人たちなんです。しかし半端なところで手を離すとそれは作り手の「悔い」にしかなりません。受け取る側も半端なものには、それほど思い入れできないので、たくさん売れていくという路線にはのらないのです。
そして、この売れていく経路に乗るには、ある程度の量産というのが必要です。ひとつのものに時間をかけるのではなくて、同じようなものをいくつも作ることに時間をかけてみる。細かくひとつひとつは完成させたものを大量に並べていくのです。その中に共通した、自分の譲れないもの、芯になるものを発見できれば、どこまでもその人は、ずっと送り手でいられるのです。自分が作りあきたころに、周囲の方が、あなたが継続している芯の部分に根負けしてくるんです。芸術(衝動)から職人(安定)への転換です。
天秤座に土星がある期間は、こういうことを考えるのにとても適していました。