16年前の記憶
おはようございます。本日月曜日のトナカイは、11:00~17:00 有元祥子さん→
、15:00~20:00 キャメレオン竹田さん→が在席になります。リンク先のそれぞれのブログを読むと、みんなの状況が刻一刻と変わっていくなあと感慨深いです。今朝は、阪神淡路大震災から16年目ということで、ニュースなどもその話題が目立ち、わたしも16年前の朝の記憶について思い出していました。1歳9か月の長男に起こされて、朝ごはんの支度をするべく7時くらいにTVを点けたら、画面には信じられない光景が映っていました。ほんとうにたいへんな災害でしたが、テレビを見続けていてもどうにもなるわけもなく、ごはんと洗濯を済ませると、1歳9カ月にせかされて公園に出かけていき、いつもの日常が始まりました。たいがいは、もしこのような災害が自分の住む地域で起こったらと、あれこれ準備や算段を始めたり、いろいろ考えたり落ち込んだりもするのでしょうか、当時の私は目先の日常をこなすだけで毎日コマのように回転していた時期だったんですね。長男は弾丸みたいな子だったので魂削られたうえ、下の子を妊娠中でもありました。そんな中で仲の良い編集者の女性が言っていたことが忘れられません。「あのような状況になっても、わたしはあの現場で“編集者”をする。必要な情報を取材して集め、必要なところに分類整理して届ける役割を無償で果たす。印刷の手立てがなければ、手書きで壁新聞式に貼りだしても、それをやる」ときっぱりと言い切っていたことでした。現状とかあたりまえとされている環境を失ったとき、非常時に、自分がやることっていったいなんなんだろう?ということは、確かに考えたのです。空港で札束がつまったかばんをふりまわしながら「安全なところまで飛行機をすぐに飛ばしてくれ」と泣きわめいていた初老のじいさんがいたという話とかを合わせて、高度成長期~バブル期と進んできたわたしたちの世代の「仕事」とか「生きる」とかの意味が方向転換していく大きなきっかけとなった災害なのは確かです。射手座冥王星時代の幕開けが、この大きな災害で、そして冥王星山羊座突入前の2007~8年はサブプライムローンの破たんをきっかけにリーマンブラザーズ問題…未曾有の不景気へと突入していきます。射手・山羊の切り替わりの頃には、チベットの問題もクローズアップされました。こういう大きな波が立つと私たちの個人の思惑や計画は、あっという間に飲まれてしまいます。だからこそ、小さな個人の枠である「太陽」希望をどちらの方向に向けるのか、小さな社会の枠である「土星」、社会の中でどのような役割を果たすのかを考える必要があるのです。自暴自棄になりのまれたままなら、生まれてこないほうがまし。ほとんどアンパンマーチの世界ですけどね。わたしも思えば16年前のその編集さんのことばから、自分なら「枠のはずれてしまった世界の中でなら」何に希望を持ち、どのような役割を果たしたいと思うのだろう?とずっと考えているのです。流されずに悲観せずに生きていくには、お金じゃなくて、今、こうしたい、次にはこうする、という希望なんです。(店長・まつい)