5月17日に店番しながら大阪都構想の住民投票で橋下さんが負けたニュース読んでいたら、電話が鳴って退去についての話がやってきたのでした。橋下さんと太陽の位置がほぼ同じの私は、他人事ではなく「塔」のカードをそれから毎日引き続けました。他にほぼ同じ位置に太陽がある、みなさんが知っている方といえば岡田斗司夫さんと香山リカさんがおりますが、それぞれに突っ込みすぎて玉砕するという状況(リカさんのはもらい事故みたいなもんですが)を見ていたので、私はどの部分を突っ込みすぎているのだろうと思ってはいたけれど、まさか店の撤退とは考えてもみなかったです。大家さんに甘えすぎていた。
とりあえず新しい場所を探そうと決心するのに一週間、ひとりでお遊び的にやることに限界を感じ(そもそも中野で店出すときはあくまでも実験で、自分があきたらすぐにやめるといっていたのにずるずる7年)5月の終わりから物件見ること風林火山。全然良いところはなかったので、店自体あきらめて秋に閉店イベントやって店閉めて終わろうと内心思って7月の誕生日。でもひとりで7年もやらかしたという報いを受けたので(冥王星は7年間順調に7ハウスを運行してきていたのに)、反省してミズマチさんを誘って一緒に動いていたので物件巡り自体は楽しかった。合間においしいもの食べてw なので適当に物件見て歩いているけれど、いつやめようと切り出すかと思っていたら、7月6日にミズマチさんから「こんな物件出てきましたよ」と南阿佐ヶ谷の物件データが送られてきて、はっ!と目が覚めました。候補の物件のたびにカード引くと、いつもその他に「運命の輪」とか「皇帝」が出ていたことを、この情報を見たとたんに思い出して鳥肌が立ちました。いくつか見てきて、こういうのがあればいいのに、あるわけないよねと、固まってきたイメージ通りの物件だったのよね。なんでこれあるの?夢なの?と思いました。即日見に行ってその日に申込み、7/16の新月の日に審査が通りました。
ミズマチさんを誘っていなかったら、勝手にあきらめてまだ中野にいたと思います。店はもうやりません、9月いっぱいで閉店しますね、と言って。貸し会議室とカフェ鑑定の日々に戻っていく準備をしていたでしょう。こういうときは固定宮だなあと思います。振り返ってみると電話がかかってきた日から3か月強で新店舗で営業再開するんだから、全然あきらめるような時間じゃなかった。活動宮は結果を早くみたいし、おとめ座(月)は偶発性とか自分の能力だけで最後が見えないものに対しては悲観的すぎるのかもしれません。
新しい物件は床も壁も水回りもシャッターも新品で、ミズマチさんいわく「机と椅子さえ移動させれば、それですぐ営業できるくらい思っていた」ので、8/2引っ越しで、8/25オープンは間が空くので、夏休みだ!と思っていたんですが、なんだかんだとやることありました。列挙はあんまりしたくない…。ようするに中野では、おおらかに安い賃貸料で好きに使わせてくれた大家さんと歴史ある商業ビルの完璧な管理システムという“実家”に守られてやっていたということですよ。自分の力なんかでは全然なかった。机と椅子あれば…というのは“子供部屋”の感覚だった。ほんとにそう思います。記念に引っ越しの日前日8/1のトナカイの画像あげておきます。
この夏のことは、いつ忘れるのかな。

明日のオープニングパーティ、閉店時にみなさんにいただいたお酒や送っていただいたご祝儀で準備させてもらいます(お菓子は高温多湿の気候ため、少しずついただいてしまいました)ほんとうにありがとうございます。人が一人で自立して生きていくのはほんとにもすごくたくさんのひとたちから、いろんな力を少しずつ受け取っていかなくてはならないことを、かみしめています。(店長・まつい)

子供部屋の引っ越しだった

子供部屋の引っ越しだった